私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

ほろ苦い味のはじめての海外旅行・・・シンガポール、マレーシア

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1996年3月、46歳の春。新入社員研修が終わった。公立高校受験に落ちた娘を一人家に置いていた。心がキリキリと痛むきつい仕事だった。会社は遅れてきたバブルでいつもの倍ぐらいの新入社員を抱えていたのです。 研修が…

懐かしい山の友へ

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1996年から1999年、40代後半、この頃の山友はこの人だった。 1999年11月白馬岳でのショット。白馬三山縦走の予定だった。白馬山荘で朝起きたら雪がついていた。アイゼンはあったが、縦走せずに大雪渓を下るようにと言わ…

君はこの世での愛の学校でもっと学べ!

100人と書く一枚の自分史プロジェクト その出来事は高校3年生の2学期に起きました。 夏休みも終わり、その頃の高校生にとって、青春の一大イベントだった体育祭も終わり本格的に受験勉強一色に染まる直前のことでした。すでに受験勉強に集中している人たちの…

質問でホスピタリティマインドが育った!

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2013年4月18日 その日のFBの投稿をアーカイブで見ると 大阪で観光業界各社からの新入社員の集合研修。 そのために向っています。が…(~_~;) 阪和線の50分遅延で焦っています!30分余裕を見て出ていますが、ダメかも! 時…

私の読書の原体験…中学一年生の夏

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1962年、12歳中学1年生の夏休み、林間学校で北摂の行者山の登山口での集合写真から切り取っています。 写っているのは、担任で社会科の斎藤先生と仲のよかった友だちで、私の読書に後々まで大きな影響を及ぼした二人で…

台北への旅・・・自由過ぎる自分が嬉しくて

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2014年9月19日~21日台北SOGOデパートの地下の鼎泰豐の前で何故か、台湾でインドのサリーを着て、キャラクターの包仔(バオザイ)とパチリ! この旅はただ旅するだけではなくて、30分間だけお志事をして、3時間、学習し…

私は、何故遍路するのか・・・。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2004年3月、54歳、この年より、春のお彼岸には行き当たりばったりな四国88カ所札所巡り、区切り打ちを始めました。最初の一歩は、就職する直前の娘と一緒に、63番吉祥寺から歩き始めました。 もう、覚えていませんが、…

誰かの役に立つ喜びを多く体験してきてほしいから

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2010年9月から、60歳の定年退職後からこれまで、滋賀の中学校に「職業体験前のマナー講習会」をお届けに行っています。 2011年、東日本大震災のあった年です。震源地以外にも日本中が揺らいでいた。そんな気がしていま…

旅はうまいもんとご縁にあふれている。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2020年10月、70歳、ひたすらホームステイの日々を過ごしていた。出口の見えない状況でいつまでかかるかわからない。 ならば、小康状態のこの隙に、行ける限り遠くに行こうと考えた。70歳まで仕事を続けた。これからは、…

満たされて・・・。また逢おうね。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2014年2月、64歳の冬、阪大病院にらぶちゃんのお見舞いに行って来た。 京都のお寺でディープな心理学の勉強をした仲間たちがそれぞれの思いを込めたお見舞いを手にらぶちゃんはこんなに笑っていた。 でも、その夏に、あ…

愛の旅、早春の極東ロシアへ

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2013年4月1日、当時63歳の早春、極東ロシアへの旅。 ハバロフスクの小学校の2年生の教室で「日本のマナー」を紹介する授業が終わった後の記念撮影である。校長先生と担任の先生とクラスの子どもたち、旅の同行者の加代…

早春の極東ロシア紀行

3月29日 関西空港から羽田空港から成田空港へ 同じ便に乗る日本人は私たちだけのようです〜! ツアー以外で行く人は少ないようです。 ワクワクをドキドキが上回っていました。 ウラジオストクに向けて、レッツフライト! 深夜に ウラジオストク、APECのため…

最強の応援団!期間限定の無条件の愛をもらっていた。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1985年私は35歳の冬友人所有の比良の山小屋に雪が積もると必ずそりやスキー板を持って雪遊びに連れて出かけた。 父親はスキーに興じる間に、兄はスキーでボーゲンの練習、妹はそり遊びをさせた。 子どもの間に多くの経…

いなくなったら風呂を探せ!

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1952年1月のたぶん2歳の誕生日かその前後に、実家の店頭で撮っている。 私たちきょうだいの幼いころの写真は結構な数に上る。我が家にカメラがやってきたことははっきりと覚えている。私が10歳の時だから、幼年時代の写…

米原駅発、姉と弟のバトルは・・・

100人と書く一枚の自分史プロジェクト この写真を撮ったのは1956年、姉の私は6歳。弟は1歳の春らしい。その頃の家業は、鋳造の風呂釜を設置する事業だった。それで、誰かが面白がって、よちよち歩く弟にこんな前掛けを巻いて写真を撮ったらしい。手にはぽん…

どうしても島に帰りたい・・・あの子はどうしているのだろう。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1996年3月、46歳その頃、会社における私は繊維メーカーの人事の仕事をしていて、地方から出てきた女子寮生の生活管理もしていました。 その寮生の一人と一緒に写っています。写真は、当時、紡績会社が共同出資して運営…

事務機器の変遷とともに働いて

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 一九七二年(昭和四十七年)に大学を卒業。当時、女性の仕事は事務職中心でした。 就職活動の中で就職部主催の講習会でタイプライターに出会いました。それまでは部活の中でガリ版で原稿を切って謄写版で刷っていたので…

留学生たちに振袖を着せてあげたい!

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2002年1月12日、52歳になってすぐの頃「留学生振袖の会」がスタートした日でした。この会は、来年、コロナ禍がなければ、2021年で20回目となる予定でした。 その2年前、娘が通う桃山学院大学の学園祭、保護者の会の活動…

人生の最終章の書き出しはニューヨークより愛を込めて~マンハッタンのアパートで

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2015年10月25日~11月2日65歳の秋 その頃、岸見一郎さんの「嫌われる勇気」でちょっとしたアドラー心理学がブームになっていました。だからというわけではありませんが、折しも、京都のお寺でディープな心理学を学び、…

誰かが叱ってくれるのを待っていた?

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 二〇一六年、五十六歳の冬が始まるころ シニア大学の同窓会、といっても、九月に卒業したところ。なのに、もうみんなお互いに逢いたくなっていた。私が幹事をして名残の紅葉の京都を訪ね、美味しい和食の店で楽しんだ。…

僕も非正規きみも非正規

非正規歌人と言われた萩原慎一郎の歌集「滑走路」を読んで涙が止まらなかった。 キャリアカウンセラーの日々での苦い思い出が甦る。 「僕も非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる」「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているの…

大阪の商売人の娘やねんから

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1972年9月倉敷の美観地区父と22歳の私が写っているレアな写真。 まず私がミニスカートであること。ヘアスタイルが珍しく短いこと。父と二人で写っている。ことなどがレアな理由である。 大体、父と二人でお出かけが…

生まれて初めての一人旅はバイクで黄金道路を走ることで始まった。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1971年7月、21歳、大学4回生の夏休み 北海道旅行、襟裳岬にて灯台をバックにパチリ!カメラマンとは3バカYHと言われた人気の宿、襟裳YHで出会った。栃木のバイクで日本縦断中で、同じ日生まれの男子学生だった。 …

浅くない縁を喜び会おう

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1974年10月1日、24歳福井県勝山市の父の生家の前で父方のいとこたちとの集合写真です。 世界中でたった1枚の最初で最後の写真となりました。 祖父の喜寿のお祝いに私は着物で正装しているし家の玄関には紅白の幕を…

黄は喜なり、空は藍いろ、生きねばならず

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2004年(平成16年)54歳の3月のこと 世間ではヨン様ブーム・・・ 一瞬はまりそうになりましたが それどころではない自分がいました。 その頃、母は特別養護老人施設で暮らしていました。言いたいことがたくさんある…

ずっと待っていたよ~!生まれてきてくれてありがとう

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2015年6月20日、63歳 この頃は、大学生への就職支援が仕事の中心になっていました。リーマンショック以前の高水準に戻している状況の中で仕事もしやすくラグビーワールドカップでの五郎丸のポーズが話題になったり…

桃と入院と涙と花火

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1960年(昭和35年)10歳。 私は、夏休みの始まる前日に救急車で大阪市立桃山病院に運ばれて隔離病棟にいた。そして、夏休みの終わる前日に退院した。病名は細菌性疫痢。疫痢は、小児にみられる細菌性赤痢の重症型短…

かわいい子には旅を!

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2003年(平成15年)53歳 桜が開花したというニュースを聞いて高知にいくことに。竜馬の足跡とよさこい踊りも観たいよね・・・。 当時大学4年の22歳、落ち込んでいる娘の感傷旅行に。春のお彼岸に青春18きっぷで家を…

出版大作戦でサードライフが走り出した。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2018年(平成30年)11月、令和前年のこと所属している協会の大会という目的で上京に合わせて埼玉県の小川町にある国立女性会館ヌェックでの出版作戦合宿しました。 自撮りで撮ったのはにわきみこさん、はにたんと私…

大丈夫よ~と、あの頃の私に言ってあげたい。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1979年(平成54年)5月、29歳近所の公園で2歳の長男と私たぶん、父親が撮影かと思う?とても機嫌が悪い。その頃は、人見知りが激しく月に20日以上出張していて月に一日ぐらいしか目にしない父親に対して人見知りして…