私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

出版大作戦でサードライフが走り出した。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2018年(平成30年)11月、令和前年のこと所属している協会の大会という目的で上京に合わせて埼玉県の小川町にある国立女性会館ヌェックでの出版作戦合宿しました。 自撮りで撮ったのはにわきみこさん、はにたんと私…

大丈夫よ~と、あの頃の私に言ってあげたい。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1979年(平成54年)5月、29歳近所の公園で2歳の長男と私たぶん、父親が撮影かと思う?とても機嫌が悪い。その頃は、人見知りが激しく月に20日以上出張していて月に一日ぐらいしか目にしない父親に対して人見知りして…

リベンジの山、宮之浦岳

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2011年(平成23年)5月屋久島宮之浦岳 (標高1936m)の頂上にいます。 登山ガイドさんに宿からひらってもらったのが3時半で真っ暗でした。ようやく明るみ始めた淀川登山口を5時前に出発して頂上に着いたのが11時過ぎ…

いつも仕事はご褒美だった

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2013年(平成25年)11月和歌山県の障がい者職業訓練の就職支援の講座を担当していました。 駅前から続く欅の並木を30分歩くとその教室はありました。いち早く黄葉する欅並木の下を歩くのが好きでした。 和歌山までJR…

富士山八合目、ここまで登ったのよ~。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2013年8月25日、63歳の夜明け富士山の八合目の小屋の前からご来光を仰ぐ。 ご一緒したのは、73歳の中学校の恩師とその娘さんご夫妻。並んで、ご来光を仰ぎました。予定ではご来光は頂上から仰ぐことにしていました。 富…

同窓会のビールは苦い後悔の味・・・

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1998年(平成10年)4月19日の卒業30周年の同窓会(於:天王寺都ホテル本館)写真は天王寺の居酒屋で 3年1組の仲間だけが残って流れた3次会。 当時は48歳、阪神淡路大震災の3年後、同級生の身にもいろいろ起こっていた。 …

タラのテーマ・・・「風と共去りぬ」

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1942年、17歳の春間近かの頃天王寺のアポロ座というステーションビルの地下の映画館憧れの先輩との初めての映画館でデート。 記憶にある私たちは高校の制服だったということはどうやら、試験の終わった日とかで午前中で…

過疎の郷・・・「最後まで守しはったんやね・・・」

100人と書く「一枚の自分史」 2018年12月 福井県勝山市、恐竜博物館のすぐ下にある母の里への悲しい訪問でした。その年の2月の福井の豪雪で88歳の叔母が命を落としました。雪が着く前にと3ヶ月も早くに一周忌の法事が営まれました。 父の里は、母の里からま…

「また来るから~」最果ての利尻・礼文島を訪ねて・・・一枚の自分史

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1971年、学生最後の夏休み。6月末に、前期の最後の授業をさぼってフライングして北海道旅行をした。 すっかり、北海道の大自然と人の優しさに触れて虜になった。 その中でも、強く印象に残っているのが最果ての利尻…

一枚の自分史 「母と娘の涸沢の山旅2009」

「はじめよう!自分史生活」講座 一枚の写真から作る自分史の ワークショップに行ってきました。 講師の河出さんは 日本古典文学全集や日本文学全集と 学生時代にお世話になった河出書房の なんと! 四代目河出岩夫さんでした。 その一篇の日本の現代文学史…

一枚の自分史・・・1989年決戦の日曜日

テーマ:一枚の自分史「1989年決戦の日曜日」 あの頃の我が家ではいつも夏休みの最終の日曜日は決戦場になっていました。 母が働いていて家に居ないのをいいことにして兄妹で遊び惚けて夏休みの宿題を溜めるだけ溜めていた。 気が付いたら夏休みはもうすぐ終…

わたしの幼少時の自分史がここにもあった。

自分史でできることは何だろう? 今日のしつもんZEN瞑想から 忘れていること。忘れたいから忘れたのか?思い出したのなら何か意味があって、そういうタイミングだったのだろう。 瞑想に入って「自分史で何ができるのか?」と質問を置いてみた。 いきなり、そ…

親を送ったように

大抵は人は親を送ったように子どもから送られる。 必ずではありませんが… 因果応報世代間連鎖… 子どもたちは見ています。親をどう送ったかを…。 私には、母の思うようには送ってあげられなかったという悔いがあります。しかも、しばらくは、そのことをずっと…

老にして学べば、死して朽ちず。

自分史において40代までは ずっと誰かの子どもであったり 誰かの母であり、妻であり 会社では総務人事の人だった。 なかなか自分だけの為には生きられなかった・・。 2003年5月のWEB日記には 50歳になって人生においてやりたかったことのやり残しがたくさん…

母へのラストレター

2004年8月2日の日記から 11時に告別式は始まった。月初めの月曜日ということでお越しいただける方は極少ないだろうと予想した通りでした。 でも、母さん、かえって、身内ばかりで心おきなく別れを告げることができましたよね。 お寺のご住職から自分たちの告…

子どものときの記憶ってどのあたりまでが本物なんだろう。

子供のときの記憶って、どの辺りまでが本物なんだろう。「子供って、何をしでかすかわからないね」幼い頃、まだよちよち歩きだった娘がおにいちゃんの風邪の水薬を全部飲んでしまったその時のことを騒ぎの張本人が話し始めた。そういえば、そんなことがあっ…

恩人たちにはどんな感謝を送ればいいのだろう。

人との出会いが人生の危機的な状態から救ってくれていたという気付きがありました。 ボランティアを通じて50代に入るその直前に出会った三人でした。私たちは二日おきにこの世に生まれました。 時を同じくして生まれても子ども時代を近い場所でよく似た環境…

想い出の母の刺し子の着物

18年前の8月の暑い盛り「優子の着物縫ったから届けに来たよ」昼休みに母が職場までやってきました。その時のこと、昨日のように覚えています。 何も、こんな暑い時に持ってこなくてもいいのに・・・昼休みではゆっくり話す暇もないやん。 しかも、袷やし・・…

母とマナーと私

何故、マナーなのか? 母がきっかけでした。父が68歳で亡くった後、母は天下茶屋で70歳を超えても、一人で元気に暮らしていました。 ある日「福井県の大野の作法の家元のところに通って、師範の看板もらってくるから、二つ入っている生命保険を一つ解約…

家族の思い出からたどる自分の物語・・・「父の歳を超える」

父が亡くなって数年は さくらに青空が透けて見えると 悲しくなりました。 あの日は そういう日でした。 平成の元年3月28日に父は亡くなりました。 68歳でした。 とうとう 私は父の生きた時間を超えてしまいました。 父は60歳を目前にして 職場で心筋梗塞で倒…

マイストーリー From CINEMA~映画から自分史を書く~「母べえ」(2007)

今日は自分史活用アドバイザーの活動を紹介します。 自分史だとなんだか大層になってしまいますが・・・ マイストーリー From CINEMA このぐらいのネーミングだと書きやすい、読みやすいかもしれませんね。 誰もが印象に残っている映画があるでしょう…

一枚の自分史 「妹と弟のご飯は私が食べさせる」

幸せを次世代に送る 自分史活用アドバイザーの藤原優子です。 一枚の写真から作る自分史 「妹と弟のご飯は私が食べさせる」 この写真はどこの現場の飯場でしょう・・・ 幼かった頃の我が家のダイニングキッチンです。(笑) 私の育った家は このころは戦後10…

永遠のハルマヘラ~還ってきてくれてありがとう 父がないことにしたことは・・・

父さん 何で、わたしは父さんの戦争を書こうと思ったんだろう。それは、京都のお寺での心理の学びから始まっていました。そのことを書いてみたいとずっと思っていました。 定年退職後のセカンドキャリアにキャリアカウンセラーを選びました。クライアントや…

ずっと人生最大の汚点だと感じていたから・・・

「ねぎらいの自分史」のための質問をしながら自分史の一幕を書いてみました。 Q. その出来事(体験)はいつ(何歳?〇〇校〇年生?)どこで起こったことですか? その出来事は高校3年生の2学期に起きました。クラスメートたちから、呼び出されたのがキーマン…

お寺での学びから

永遠のゼロ エンディングロール 生き残ってくれてありがとう ありがとう 涙がとどまることなく溢れて もしや私も… 祖父の罪悪感を引き取った女性の半生 職業軍人 全艦隊玉砕… 満州 限りなくブラックに近いグレー 靖国神社 ごめんなさい。 その夜半から 東京…

自分史を書く・・・映画「風とともに去りぬ」マイラブストリー

幸せを次世代に送る 自分史活用アドバイザーの藤原優子です。 すさまじいばかりの光を放って 凍てついた月があたりを睥睨しています。 この頃が一番寒さも厳しさを増す 暦の矛盾を最も感じる時季ですね。 私のシューカツ(集大成活動)の一つはセカンドライフ…

家族の思い出からたどる父の物語・・・「時代の波に流されないうちに」

父が亡くなったのは平成元年の3月 来年は33回忌です。 お葬式は4月1日消費税導入の日でした。 葬儀社さんに「消費税かかりますよね」とお聞きすると「3月の契約なのでかかりませんよ」とのことでした。 悲しみの中でも冷静な私がいました。 そして今令和元年…

父の最期は

平成の元年3月28日に父は亡くなりました。68歳でした。私は父の生きた時間を超えてしまいました。 父は60歳を目前にして、職場で心筋梗塞で倒れ一命は取り留めても心臓の半分は壊死した状態。 その後、今度発作を起したら命の保証はないと言われて数回発作を…

今、書かねばと強く思います。

昨年の12月悲しい訪問でした。 2月の福井の豪雪で88歳の叔母が命を落としました。 生者必滅、会者定離 この世に生を受けたものは必ず死に、 出会ったものには必ず別れがくる。 去って行った人の心を引き継ぎ 次代に引き継いでいくことが大事。 雪が着く前に…

旧陸軍兵器学校の跡を訪ねて

1/16 旅の最終日父が学んだ陸軍兵器学校があった麻布大学獣医学部を訪ねてその場所に立ってきました。 朝、横浜線の淵野辺に向かおうとすると横浜線が運転見合せって! エーッ!そんな…とにかく東神奈川まで行こう。 降りたら向かいのホームから電車が動…