私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

事務機器の変遷とともに働いて

100人と書く一枚の自分史プロジェクト

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 一九七二年(昭和四十七年)に大学を卒業。当時、女性の仕事は事務職中心でした。

就職活動の中で就職部主催の講習会でタイプライターに出会いました。それまでは部活の中でガリ版で原稿を切って謄写版で刷っていたので、何か特別な存在になれたような気がしたものでした。
早速、当時やっていた工学部の教授秘書のアルバイトで先生の英文の論文をポチポチと打っていました。

仕事についてしばらくは、手作業による事務処理が中心でした。伝票を起こし、帳簿は手書き、計算はソロバンでした。文書はタイプライターに入力。湿式コピー機が出始めていました。 

 三年後、結婚して、しばらくは子育てに専念し、一九八三年、社会復帰したのは繊維メーカーの総務部でした。
事務室はオフィスに様変わりして、オフィスコンピューターが主流となり、文書の処理は日本語ワープロでした。
早速、給与計算が主な仕事となり、オフコンの利便性にすっかり魅せられて、それを扱えることが楽しく思えたものでした。湿式は姿を消し、乾式コピー機となっていました。
ソロバンは二級、使いこなしていたので、いつまでも計算機と二刀流でした。

 バブルとともに、大きなオフコンはパーソナルコンピューター、パソコンにとって代わります。そこからは目まぐるしくオフィスは変わっていきました。
文書処理のソフトも「松」から「新松」に始まって、ある時期は「一太郎」そして「ワード」、計算ソフトも「ロータス123」から「エクセル」「アクセス」と、使いこなせるようになったと思ったら、また次のソフトに切り替わる。よくついていけたものです。

 FAXが登場し、電話も多機能になり、移動電話やポケベル、携帯電話、インターネット・・・、全部使いました。

 やがて、事務作業から採用や社員教育や社内カウンセラーのような業務が中心になっても、パソコンはなくてはならないアイテムになり、パワーポイントで仕事をすることが増え、HPにも必死で取り組むうちにインターネットは仕事の中心になっていました。

 二〇一〇年、定年退職するまで、どれだけの事務機器のお世話になったことでしょう。その変遷史をこの目で見て、この手で使って、ともに変わり続けてきました。そのことをこの写真が思い出させてくれました。

  ただ、これまで、便利になった分、ヒトとしての退化が始まっていたなと感じています。例えば、携帯電話を持つ前は、親戚や友人知人の電話番号は常に頭に入っていて、自在に使えたのに、覚える必要がなくなると、どんどん、忘れていっていませんか。
パソコンを使うようになって、漢字は読めても書けなくなっていることにも愕然としています。そしてちょっと困ったら、なんでもグーグル先生に聞いてしまって、調べたり、深めたり、広めたりするということがない。苦労して答えを出していないので、すぐにまた忘れてしまいませんか。 

 どうしようもなく依存してしまっている昨今、すでに、老性退化も始まっています。
老化防止のクイズとかしないでも、ここらで、辞書を引くとか、手紙を手書きするとかできることがあるような気がします。


 そろそろ、丁寧な暮らしにライフシフトする。できるところから始めるしかありませんね。