私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

桃と入院と涙と花火

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1960年(昭和35年)10歳。 私は、夏休みの始まる前日に救急車で大阪市立桃山病院に運ばれて隔離病棟にいた。そして、夏休みの終わる前日に退院した。病名は細菌性疫痢。疫痢は、小児にみられる細菌性赤痢の重症型短…

かわいい子には旅を!

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2003年(平成15年)53歳 桜が開花したというニュースを聞いて高知にいくことに。竜馬の足跡とよさこい踊りも観たいよね・・・。 当時大学4年の22歳、落ち込んでいる娘の感傷旅行に。春のお彼岸に青春18きっぷで家を…

出版大作戦でサードライフが走り出した。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2018年(平成30年)11月、令和前年のこと所属している協会の大会という目的で上京に合わせて埼玉県の小川町にある国立女性会館ヌェックでの出版作戦合宿しました。 自撮りで撮ったのはにわきみこさん、はにたんと私…

大丈夫よ~と、あの頃の私に言ってあげたい。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1979年(平成54年)5月、29歳近所の公園で2歳の長男と私たぶん、父親が撮影かと思う?とても機嫌が悪い。その頃は、人見知りが激しく月に20日以上出張していて月に一日ぐらいしか目にしない父親に対して人見知りして…

リベンジの山、宮之浦岳

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2011年(平成23年)5月屋久島宮之浦岳 (標高1936m)の頂上にいます。 登山ガイドさんに宿からひらってもらったのが3時半で真っ暗でした。ようやく明るみ始めた淀川登山口を5時前に出発して頂上に着いたのが11時過ぎ…

いつも仕事はご褒美だった

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2013年(平成25年)11月和歌山県の障がい者職業訓練の就職支援の講座を担当していました。 駅前から続く欅の並木を30分歩くとその教室はありました。いち早く黄葉する欅並木の下を歩くのが好きでした。 和歌山までJR…

富士山八合目、ここまで登ったのよ~。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2013年8月25日、63歳の夜明け富士山の八合目の小屋の前からご来光を仰ぐ。 ご一緒したのは、73歳の中学校の恩師とその娘さんご夫妻。並んで、ご来光を仰ぎました。予定ではご来光は頂上から仰ぐことにしていました。 富…

同窓会のビールは苦い後悔の味・・・

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1998年(平成10年)4月19日の卒業30周年の同窓会(於:天王寺都ホテル本館)写真は天王寺の居酒屋で 3年1組の仲間だけが残って流れた3次会。 当時は48歳、阪神淡路大震災の3年後、同級生の身にもいろいろ起こっていた。 …

タラのテーマ・・・「風と共去りぬ」

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1942年、17歳の春間近かの頃天王寺のアポロ座というステーションビルの地下の映画館憧れの先輩との初めての映画館でデート。 記憶にある私たちは高校の制服だったということはどうやら、試験の終わった日とかで午前中で…

過疎の郷・・・「最後までお守りしはったんやね・・・」

100人と書く「一枚の自分史」 2018年12月 福井県勝山市、恐竜博物館のすぐ下にある母の里への悲しい訪問でした。その年の2月の福井の豪雪で88歳の叔母が命を落としました。雪が着く前にと3ヶ月も早くに一周忌の法事が営まれました。 父の里は、母の里からま…

「また来るから~」最果ての利尻・礼文島を訪ねて・・・一枚の自分史

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1971年、学生最後の夏休み。6月末に、前期の最後の授業をさぼってフライングして北海道旅行をした。 すっかり、北海道の大自然と人の優しさに触れて虜になった。 その中でも、強く印象に残っているのが最果ての利尻…

一枚の自分史 「母と娘の涸沢の山旅2009」

「はじめよう!自分史生活」講座 一枚の写真から作る自分史の ワークショップに行ってきました。 講師の河出さんは 日本古典文学全集や日本文学全集と 学生時代にお世話になった河出書房の なんと! 四代目河出岩夫さんでした。 その一篇の日本の現代文学史…