私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

恩人たちにはどんな感謝を送ればいいのだろう。

人との出会いが人生の危機的な状態から救ってくれていたという気付きがありました。 ボランティアを通じて50代に入るその直前に出会った三人でした。私たちは二日おきにこの世に生まれました。 時を同じくして生まれても子ども時代を近い場所でよく似た環境…

想い出の母の刺し子の着物

18年前の8月の暑い盛り「優子の着物縫ったから届けに来たよ」昼休みに母が職場までやってきました。その時のこと、昨日のように覚えています。 何も、こんな暑い時に持ってこなくてもいいのに・・・昼休みではゆっくり話す暇もないやん。 しかも、袷やし・・…

母とマナーと私

何故、マナーなのか? 母がきっかけでした。父が68歳で亡くった後、母は天下茶屋で70歳を超えても、一人で元気に暮らしていました。 ある日「福井県の大野の作法の家元のところに通って、師範の看板もらってくるから、二つ入っている生命保険を一つ解約…

家族の思い出からたどる自分の物語・・・「父の歳を超える」

父が亡くなって数年は さくらに青空が透けて見えると 悲しくなりました。 あの日は そういう日でした。 平成の元年3月28日に父は亡くなりました。 68歳でした。 とうとう 私は父の生きた時間を超えてしまいました。 父は60歳を目前にして 職場で心筋梗塞で倒…

マイストーリー From CINEMA~映画から自分史を書く~「母べえ」(2007)

今日は自分史活用アドバイザーの活動を紹介します。 自分史だとなんだか大層になってしまいますが・・・ マイストーリー From CINEMA このぐらいのネーミングだと書きやすい、読みやすいかもしれませんね。 誰もが印象に残っている映画があるでしょう…

一枚の自分史 「妹と弟のご飯は私が食べさせる」

幸せを次世代に送る 自分史活用アドバイザーの藤原優子です。 一枚の写真から作る自分史 「妹と弟のご飯は私が食べさせる」 この写真はどこの現場の飯場でしょう・・・ 幼かった頃の我が家のダイニングキッチンです。(笑) 私の育った家は このころは戦後10…