私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

私の読書の原体験…中学一年生の夏

100人と書く一枚の自分史プロジェクト

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1962年、12歳中学1年生の夏休み、林間学校で北摂の行者山の登山口での集合写真から切り取っています。

写っているのは、担任で社会科の斎藤先生と仲のよかった友だちで、私の読書に後々まで大きな影響を及ぼした二人です。

この夏休み、担任からパール・バックの「大地」が課せられて、というか、そう勘違いして、よくわからないままに「大地」全3巻を読了しました。

斎藤先生は現地で見ることに熱心で、ことあるごとに社会見学等に引率してくださいました。その後、担任から外れた次の年も、奈良へ古都探訪に行くという朝の集合にケネディ大統領が暗殺されたというニュースを持ってこられました。強烈な想い出になっています。

先生は、シベリア抑留からの帰還兵でした。その体験談や父の戦争からの生還体験を生に聞いたことは私の人生観に影響しないわけにはいきませんでした。

休日に、難波の橋の上で逢ったことがありました。先生は拡声器を抱いて、平和を訴えておられました。その橋のたもとには、傷病兵の姿をしてアコーデオンで軍歌を鳴らして物売りをする人もいました。

終戦後すでに20年近く経っていました。世の中は、「いつでも夢を」「遠くへ行きたい」が流行し、若者が夢を抱いたり、旅へ憧れたりできたいい時代でした。そんな矛盾をはらんだ時代に思春期の入り口にいました。

この頃の私は、写真の友だちのようには笑えていなかったようでした。
友だちは裕福な家の子で、多くの蔵書を持っていました。特に翻訳者が大半を占めていました。その頃、ベストセラーになった「野生のエルザ」「永遠のエルザ」も借りて読みました。おかげで翻訳ものに抵抗がなかったので「大地」が読めたのかもしれません。性格のいい人でした。何時も気持ちよく貸してくれました。
その頃の私は、貸してあげる本も持っていないし、何か返すことも持っていませんでした。そんな自分が友だちとして値打ちがないように思えて、友達の家に行くたびにぎゅーっと心が痛むような気持ちになりました。友だちのお母さんは、こ洒落たお菓子を作ってくれたり、なによりも言葉が標準語できれいな品のいい方でした。私の母は商売が忙しくてそんなものは作ってくれることはありませんでした。

我が家は商売をしていたので盛衰はありましたが、まだましな方で、同級生の中には、内職をしているような子もまだまだいて、貧富の格差は明らかにありました。私はそんなときにも何もできることがないことを心苦しく思ったものでした。

子ども心に家庭の環境で人はこれほど違うのかと社会の一面を見る体験と「大地」という社会派の大作を読むことで、大人への階段を上り始めていました。

友人関係に悩み、自分のアイデンティティに目覚める中で、本の世界にどっぷりと浸かっているのが一番安心していられる、心地よかったのです。
そして、夏休みに「大地」を読んだこともそうですが、先生からの賞賛が、宝物のような読書の原体験となりました。

両親ともに教育には熱心な方でしたが、本ばかり読んでいると
「本ばっかり読んでないで、家の手伝いをしなさい!」
とよく叱られたものです。読みだすと夢中になって、どんな声も届かない私に手を焼いていたようです。

この歳になって、誰もとやかく言う人もいない。読みたいだけ読める。
今後は息を吸うように読んで、息を吐くように書いて過ごしたい。

人と読書経験を共有する読書会と同人誌の発行は私の最良の道楽となっています。