私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

満たされて・・・。また逢おうね。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2014年2月、64歳の冬、阪大病院にらぶちゃんのお見舞いに行って来た。 京都のお寺でディープな心理学の勉強をした仲間たちがそれぞれの思いを込めたお見舞いを手にらぶちゃんはこんなに笑っていた。 でも、その夏に、あ…

愛の旅、早春の極東ロシアへ

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 2013年4月1日、当時63歳の早春、極東ロシアへの旅。 ハバロフスクの小学校の2年生の教室で「日本のマナー」を紹介する授業が終わった後の記念撮影である。校長先生と担任の先生とクラスの子どもたち、旅の同行者の加代…

早春の極東ロシア紀行

3月29日 関西空港から羽田空港から成田空港へ 同じ便に乗る日本人は私たちだけのようです〜! ツアー以外で行く人は少ないようです。 ワクワクをドキドキが上回っていました。 ウラジオストクに向けて、レッツフライト! 深夜に ウラジオストク、APECのため…

最強の応援団!期間限定の無条件の愛をもらっていた。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1985年私は35歳の冬友人所有の比良の山小屋に雪が積もると必ずそりやスキー板を持って雪遊びに連れて出かけた。 父親はスキーに興じる間に、兄はスキーでボーゲンの練習、妹はそり遊びをさせた。 子どもの間に多くの経…

いなくなったら風呂を探せ!

100人と書く一枚の自分史プロジェクト 1952年1月のたぶん2歳の誕生日かその前後に、実家の店頭で撮っている。 私たちきょうだいの幼いころの写真は結構な数に上る。我が家にカメラがやってきたことははっきりと覚えている。私が10歳の時だから、幼年時代の写…

米原駅発、姉と弟のバトルは・・・

100人と書く一枚の自分史プロジェクト この写真を撮ったのは1956年、姉の私は6歳。弟は1歳の春らしい。その頃の家業は、鋳造の風呂釜を設置する事業だった。それで、誰かが面白がって、よちよち歩く弟にこんな前掛けを巻いて写真を撮ったらしい。手にはぽん…