私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

満たされて・・・。また逢おうね。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト

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2014年2月、64歳の冬、阪大病院にらぶちゃんのお見舞いに行って来た。

京都のお寺でディープな心理学の勉強をした仲間たちがそれぞれの思いを込めたお見舞いを手にらぶちゃんはこんなに笑っていた。

でも、その夏に、あなたは逝ってしまった。

その前年の10月に山形で、魔法の質問認定講座を受けて、直後に開いたキッズのための質問ライブをらぶちゃん、受けてくれました。そして
「母ちゃんたちを元気にしたいから、早く!トレーナーになって、私たちをインストラクターにして!」
と私を急かしたよね・・・。

11月に東京で、養成講座を受けて、キッズインストラクタートレーナーになって、12月にインストラクター養成講座1期を開講したけれど、そこにはラブちゃんはいなかった。
重篤な病に倒れ、臨死体験を経て、それでも、やり残したことを片付けにきたかのように還ってきたのでした。
そして、4月に養成講座を受けてくださいました。あなたのシェアは深い真理を、宇宙から届けてくれるようでした。

周りには大変なことが続いても、らぶちゃんはやわらかく笑っていた。

落ち着いたら、子育てをするお母さんたちを、シニアが援ける活動をあなたと一緒にできると思って疑いもしなかった。

ラブちゃんが逝ったなんて知らないまま、大阪城にいたあの夏盛り。
あの夏の日の夜は、京都のホテルでたくさんお話しするつもりだったのに・・・
何にも聞けないままにお別れは突然に訪れた。

あれから数年は片翼飛行を続けているような感覚から抜けられなかった。
一人で養成講座を毎月開講して、優しかったあなたを折々に感じながらその遺志を繋いだ。

時が満ちて、いつしか片翼飛行の感覚は消えた。残されたものが、命のことを考えて、人を想い、その思いが満ち溢れたときに初めてお別れの時がやってくる。それはね、悲しいけれど、次につながっていくんだと思った。

あなたの体はなくても、あの京都のお店にあなたの魂はあの席で私たちと居た。
でも、あなたが用意した花を盛る予定だったドラえもんのマグカップだけが届いたとき、届けてくれる人がいて初めてここにあると知った。
らぶちゃんの命が教えてくれたのは、魂が永遠であること。でも、肉体がなければできないことがある。よく生きて!ってことでした。
あれから、私は、魂を愛のシャンパンで自ら満たして、多くの人に届くように溢れさせて生きることができました。今の私があるのは、あなたが教えてくれたから。

この年は、御岳の噴火や、広島の土砂災害と自然災害の多い年でした。
来る年も、来る年も、大きな自然災害が寸断なく続くいて、悲嘆にくれる人々を見続けている。昨年からは新型コロナ禍が加わって、これまでの当たり前が崩壊しました。

らぶちゃんは、今起きているコロナの世界を知らない。
若い人にとっても大変だけど、今の私たちは、年齢で制限をかけられて、その中で生きることを望まれている。そのことは守ろうとしてくれてるんだとわかっているけれど、結構、揺らぐのですよね。

あなたならこんな世の中をどう思う?どう生きる?あまりにも多くの情報が飛び交って、自分の軸がないとつい揺らいでしまう。一歩、家から出るにも、決めて出ないといけない。あなたなら、どう行動するだろうか?

今度、逢うときに、コロナで変わってしまった世界をどう生きたか。
笑って話せる。そのときのためにもしっかりと生きようと思う。

そうそう、らぶちゃんが体に当てているこのチュニックは私が縫ったもの。よく着てくれていたな・・・。
ありがとうね。
らぶちゃんの魂が愉しいと、私たちも愉しい。私たちが喜ぶと、らぶちゃんの魂も喜ぶ。
また、逢おう・・・。さよならは言わない。それは逢うまでの約束だからね。