私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

僕も非正規きみも非正規

非正規歌人と言われた萩原慎一郎の歌集「滑走路」を読んで涙が止まらなかった。 キャリアカウンセラーの日々での苦い思い出が甦る。 「僕も非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる」「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているの…

大阪の商売人の娘やねんから

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1972年9月倉敷の美観地区父と22歳の私が写っているレアな写真。 まず私がミニスカートであること。ヘアスタイルが珍しく短いこと。父と二人で写っている。ことなどがレアな理由である。 大体、父と二人でお出かけが…

生まれて初めての一人旅はバイクで黄金道路を走ることで始まった。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1971年7月、21歳、大学4回生の夏休み 北海道旅行、襟裳岬にて灯台をバックにパチリ!カメラマンとは3バカYHと言われた人気の宿、襟裳YHで出会った。栃木のバイクで日本縦断中で、同じ日生まれの男子学生だった。 …

浅くない縁を喜び会おう

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 1974年10月1日、24歳福井県勝山市の父の生家の前で父方のいとこたちとの集合写真です。 世界中でたった1枚の最初で最後の写真となりました。 祖父の喜寿のお祝いに私は着物で正装しているし家の玄関には紅白の幕を…

黄は喜なり、空は藍いろ、生きねばならず

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2004年(平成16年)54歳の3月のこと 世間ではヨン様ブーム・・・ 一瞬はまりそうになりましたが それどころではない自分がいました。 その頃、母は特別養護老人施設で暮らしていました。言いたいことがたくさんある…

ずっと待っていたよ~!生まれてきてくれてありがとう

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト 2015年6月20日、63歳 この頃は、大学生への就職支援が仕事の中心になっていました。リーマンショック以前の高水準に戻している状況の中で仕事もしやすくラグビーワールドカップでの五郎丸のポーズが話題になったり…