私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

僕も非正規きみも非正規

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非正規歌人と言われた萩原慎一郎の歌集「滑走路」を読んで涙が止まらなかった。

キャリアカウンセラーの日々での苦い思い出が甦る。

「僕も非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる」
「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」
「箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる」

2014年の春
先生だったら出来るでしょうという学校からの無茶ぶり
専門知識もないのに障がい者就業支援の講座を引き受ける羽目に・・・

それなりにできること
学びも加えながらなんとか支援を続けていましたが
これでいいのかと思うことが重なる日々でした。

講座生との信頼関係の構築だけはうまく行っているのだけが救いでした。
不思議なくらいにみんなが自己開示をしてくれる。

その時も、講座初日に講座生が話を聞いてほしいと・・・
「僕、薬物中毒なんです」
いきなりの自己開示だった。

事前に詳しい情報はいつもなかった。
状況が呑み込めずいると、いきなり下腹がキリキリと痛み出した。
この人は何に怒っているのだろうか。しかも激しい怒りらしい。
完全にその怒りを受け取っている。
受け取り体勢ができていないとそんなことがある。
それくらい自己開示がいきなりだった。
これはマズイ!
一端、場を離れて自分の立ち位置を確認して体勢を整えた。

彼は旋盤の仕事をしていた。そして腰を痛めた。
生活を維持するためには止めるわけにはいかなかった。
激痛を抑えるための痛み止めを常用していた。
そのために薬物依存となり、神経を病んでいった。
やがて、幻聴や幻視も現れるまでに至った。
強制的に矯正施設に収容されて、復帰するのには2年かかった。

社会復帰は、それ以上に厳しく、どこも雇ってくれなかった。
結局は前職に就くしかなかった。そして、腰痛は再発した。

また、薬に手を付けてしまったという自分への激しい怒りがあった。

今回、障害認定を受けて再就職支援を受けることにした。

薬を飲みながら訓練に通ってきていた。
これからどう生きたらいいのか・・・という。

受け皿は潰滅的にない。それがわかっている。
限られた制度の中でキャリアカウンセラーは無力だった。

彼だけではない。
この歌人のように
いじめから対人恐怖、非正規雇用からの解雇
いろいろな問題を抱えている人が講座を受けに来た。
私のできることはモチベーションを維持する手伝いしかできない。
全力で寄り添ったけれど、非力、無力だった。
無価値感に苛まされた。

就職先は決まらないうちに彼の訓練期間は終わった。

最後に謝るしかなかった。
「非力でごめんね」
「だけど、先生は最後までずっと向き合ってくれた」
人目をはばからずにハグをしてしまった。
彼は戸惑っていた。それでもとっさにそうしたくなって、そうした。

戸惑うはず・・・
親にも早くから見捨てられた
誰からもハグされた記憶もない・・・
薬物依存は中学時代、シンナー中毒から始まっていたのだから。

「キャリアカウンセラーって薄っぺらい仕事やな~、きれいごとだけ言っていたらええねんからな~」
と暴言を吐かれたこともある。
言われなくても分かっている。

しかも、キャリアカウンセラーだってほとんどが非正規
雇用弱者でそれで食える人はほぼいない。
非正規の悲哀はキャリアカウンセラーが嫌というほど知っているなんて皮肉です。

就職支援する側が足りているわけではないのに、満足な支援ができるわけがないですよね。

キャリアカウンセラーも
「非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ」

それでも、誰かがやらないといけない。
ならば、年金をもらいながらやっていける経験豊富なシニアしかいないだろうと思ってきました。
それで10年間やってきて、そして、まだやり続けるのでしょう。

構造から改革されない限り、雇用弱者に滑走路はないと感じています。

2017年、萩原慎太郎さんは32歳でこの世を去りました。
滑走路から飛び立って、滑走路に着陸することはありませんでした。
それでも、歌を精いっぱい詠み、生きた短い自分史でした。

その死を悼みます。

合掌

 

「・・・」は歌集「滑走路」の萩原さんの歌です。