私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

富士山八合目、ここまで登ったのよ~。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト

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2013年8月25日、63歳の夜明け
富士山の八合目の小屋の前からご来光を仰ぐ。

ご一緒したのは、73歳の中学校の恩師とその娘さんご夫妻。
並んで、ご来光を仰ぎました。
予定ではご来光は頂上から仰ぐことにしていました。

富士山は世界遺産登録まで秒読みだった。
これまで、山小屋の不備や安全性などと紆余曲折があって
なかなか認められませんでした。
そんな中、登山路にある山小屋は新設、増設、改築のラッシュ!
そこかしこに建築中の建物があり
なかなかに騒々しい場所となっていました。

事の起こりは
世界遺産に登録されたら
世界中から人が押しかけて登れなくなる。
登るなら、今のうちだと・・・。

中学2年の担任の片岡先生
先生が新任の時に入学、そして初めて担任した時の教え子が私たちでした。
そのご縁は途絶えることなく続き
いつか、その思い出も綴りたいと思っています。

御年73歳の先生は、登山歴もない、普段も登っていない。
それでも、一生で一度は登りたい!
レーニングするから連れて行ってほしい。
ツアーではついていけないから
あなたに頼みたいと言い出されます。

20年近く前に家族で富士山に登っています。
天候さえよければ、先生の足に合わせてゆっくり登れば
大丈夫だろう・・・。
ただし、難しいと判断したら途中で止めることを条件として・・・。

そろって大学の研究職の娘さんご夫婦が
迷惑をかけてはいけないからとサポートについてくださいました。

五合目の吉田口からの登山。
バスを降りると、そこはまるでちょっとした町の中で
20年前の記憶にはない姿です。

観光客がここまで入ってくるのです。

たくさんのお店が建ち並び、あまりの外国人の多さに慄きます。
そこにはモンベルもあって、中国人が登山用品を爆買いしていて
そのまま登山するらしい。

中には、半そで、半パン、サンダル?のようなもので
登山する中国人もいて・・・。死ぬ気なのでしょうか?!

信仰の山を汚すような行為も多々見受けて・・・

信仰の山とは無縁の姿に
世界遺産とは、自然と文化を守り
後世に残すことではなかったのかと憤りを覚えていました。

そんな戸惑う私たちの前に現れたのが大きな虹でした。
大いに励まされて登り始めました。

が、その虹は悪天の始まりでした。
六合目の富士山安全指導センターを過ぎるころから
雨が降り出し
岩場が始まる七合目からは本降りになり
先生の足が止まります。

急な岩場がこれから続いて、ここからは3000m。
3000mを越えてから高山病の危険も加わります。

今日の行程は、下山のための体力も考えて、八合目までと決めます。

先生を娘さんたちに預けて、一人で八合目に先行し
白雲荘に宿を確保したら、山小屋に荷物をデポしておいて
空身で迎えに降りました。

先生のザックは私が背負うことにして
空身になった先生に何とか八合目の小屋まで上がってもらいます。
娘さんご夫婦の様子もかなり気になります。

明日の天気次第では、登らずに下山は当然ですが・・・
天気でも難しいなと判断します。下山こそが最大の難関です。

ここから頂上を目指し、そこからの下山は先生の膝が持たないだろう。
下山ルートに山小屋は少ない。先生、ごめんなさい。

そして、そのことは先生も快諾されます。

山小屋は快適だったし、楽しい時間を過ごし
翌朝、諦めていたご来光がこれでした!

先生は元気を回復して
やはり、登れるのではと言い出す。
迷いました!登りたい!私も!
もしかしたら、登れるかもしれない。

山では、ご来光がきれいで、今は晴天でも
いつ天気は崩れるかわからない。

今日も予報では50%の確率。
山の中では、降らないまでもガスには濡れる。
8月も末で濡れると体温が下がる。体力の消耗が激しい。

迷う!迷う!迷う!
登らせてあげたい!

娘さんが助けてくれた。
「止めましょう」と。

あんなに晴れていたのに・・・
下山を始めるや、ガスに覆われて、雨が降ってくる。

長いルートをゆっくり、ゆっくり下る。
先生の足は頑張っている。

頂上から降りてきた人達と合流するようになると
ふらふらになって倒れそうな人が次々と・・・
やっとで歩いている人に道を譲りながら
先生の顔に納得の表情が浮かぶ。

「あ~。あのまま登っていたら、私もあんなふうになっていたのやね」

「もっと、ひどいことになっていたね」

先生、まだまだ下山道は続くよ、長いよ~、これからよ~
とは心の中で。

無事に、下山して
河口湖に宿をとり、吉田の火祭りを楽しみ
青木ヶ原の樹海と十分に楽しんで帰阪しました。

先生は、退職後を
画廊カフェをなさっています。

後日、伺ったら、富士山の写真が飾ってあり
来店されていたお客さんに、八合目付近を指さして
「私ここまで登ったのよ~」
と、得意そうに、嬉しそうに話しておられました。

私の思春期の中学時代
若くて颯爽としていた先生
その後も、女性が働くという姿をずっと見せていてもらいました。

先生、人生を下山するってのもなかなか難しいですよね~。

画廊カフェも20年過ぎましたね。
コロナ禍でどうなさっているかな。
久しぶりにお会いしに行こうかな・・・。

 

その他の写真

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