私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

大丈夫よ~と、あの頃の私に言ってあげたい。

100人と書く「一枚の自分史」プロジェクト

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1979年(平成54年)5月、29歳
近所の公園で
2歳の長男と私
たぶん、父親が撮影かと思う?
とても機嫌が悪い。
その頃は、人見知りが激しく
月に20日以上出張していて
月に一日ぐらいしか目にしない父親に対して
人見知りしていた。
近所に住む伯父と父親に同時に名前を呼ばれたら
躊躇なく、いつも見慣れた伯父のほうに向かったものだ。

だから、カメラに向かって笑えと言われても笑えない。

しかも
この頃は、小児ぜんそくで、いつも夜にばかり発作が始まる。
朝方に治まるから、そんな日は雨戸を開けずに
昼は、母子ともに死んだように寝ていた。

父親が出張から帰ってきた休みの日
無理やり起こされて、無理やり公園に連れ出されている。

眠いのである。そして眩しい。

私の顔も無理して笑っている。迷惑なんだな~。

この頃から、マイペースを乱されることを嫌う。
ほっておいて欲しいのだ。
何かと気を引こうと無理強いしただけ嫌がられる。
すでに頑固な性格は出来上がっていた。

引きこもる日々にあって
世の中の動きからは取り残されていた。
ピンクレディがUFOと歌っていた。
長男も真似をしていたことぐらいしか覚えていない。

夜に発作を起こして病院に走ることが重なると
不安に駆られて、実家に身を寄せた。
ご近所さんとは溶け込むこともなかった。

母親がこれだから
当然、人見知りして外に出ない。
幼稚園に入園するまで、親子して引きこもりだった。

幼稚園に入ると、ぜんそくが反復性良性腎症に代わり
小学校に入るとアトピー性皮膚炎に移行した。
夜な夜な、ぼりぼりと体を掻く音で目が覚めるほどひどかった。
それも、中学に入学するまでには完治した。

そんな、神経質で一人ぼっちの子育ては
妹の誕生で終わりを告げる。

今の私は、暗黒時代のあの頃に私に言ってあげたい。
なんと、小学校・中学校・高校と病気一つせずに皆勤するという事実を!
大丈夫よ~と言ってくれる人がいたらどれだけ救われていただろう。

そんな息子もやっと
40歳を越えて
親から面倒を見てもらう立場から
面倒を見る立場を自覚したらしい。

随分とかかったけれどなんとかなるものである。

親が、子を信じて託す、その気になったら、
その立場は反転する。
今後は見てもらっているふりを上手にすることにしよう。

親として気がかりはいつまでも続くものです。
ある程度の年になるまで待つけれどね・・・
大丈夫よ~!と
今は上手く声もかけられるようになっている。