私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

旅はうまいもんとご縁にあふれている。

100人と書く一枚の自分史プロジェクト

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2020年10月、70歳、ひたすらホームステイの日々を過ごしていた。
出口の見えない状況でいつまでかかるかわからない。

ならば、小康状態のこの隙に、行ける限り遠くに行こうと考えた。
70歳まで仕事を続けた。
これからは、行きたいときに行きたいところに行こう。
これまで働き続けたご褒美にハワイホノルルマラソン10Kmを歩くつもりだった。
他にもあちこち行く予定でいたのに・・・
このタイミングでの新型コロナ禍だった。

GOTO使って行けるだけ遠くと思えど、選択肢は国内しかない。南の島か?北の果てか?
それで、利尻・礼文島への一人旅ツアーだった。

北海道稚内を訪れたのは49年ぶりだった。
稚内に若い日の記憶の切れ端を捜したが、見付かるはずもない。
北の果て、執着駅の風情も今はどこにもなかった。

あの日、駅から桟橋に向かう道に夥しい数の魚が落ちていた。
はらわたの飛び出した魚を踏むまいとよけて緊張して歩いた。
腐臭に息ができなかった。

たぶん、この道がそうだろうと思うけれど、そんな影は今はどこにもない小ぎれいな街になっていた。

そこには情緒あふれるアーチ型の北防波堤というすばらしい歴史の遺産があったのに、魚を避けるのに一心不乱で目に入りながらも観ていなかったらしい。こんなに美しかったのに・・・。

昭和30年からやっているという寿司竜という鮨屋を覗いて、おまかせの寿司をつまんだ。そこでやっと、求めていた記憶の欠片を見付けることができた。

同世代ぽい親父さんに、49年前の魚がばらまかれていた話をしてみた。
あの頃は魚がいくらでも獲れたそうだ。
トラックに山積みだったから、いくらでも落として行った。
魚は肥料にするしかなかったという話をこともなげに話してくれた。

学生の貧乏旅で、北海道まで来ているのに、北海のグルメには縁がなかった。当時はグルメという言葉もなかった。

やっと、あの時の心残りを果たすことができた。

お腹も満たされたが、それ以上に心が満たされていた。

私と同じく一人旅の女性と札幌から転勤でという若い人が一人で飲んでいた。
常連らしい男女が後でやってきた。

「おひょうが揚がってたから買ってきた」

親父さんが最高のネタばかりで握るよと言う。そういうお寿司が旨くないはずがない。

二皿目は、ウニ、いくら、数の子だった。たぶん、しばらくはこの上をいくものには当たらないだろう。

旅の鉄板は地元に古くからある店に行くことだ。旅の間、何度も海の幸が並んだけれど、ここの寿司が秀逸だった。


今回はGOTOキャンペーンを利用しての一人旅の団体ツアーだった。
一人旅だけどひとりぼっちではない。いい塩梅な一人具合には満足していた。

旅の喜びは人との出会いでもある。一人旅同士が湯につかりふれあう。食事は、コロナ対策故に、ソーシャルディスタンスを保ちつつ、一方方向を向いてのお食事だったけれど、それも後の語り草だ。これもよしとしよう~。

帰ってきて、4か月、ご縁が繋がった。美味しいもの繋がりだ。
「美味いもんコンシェルジェのだかずこの偏愛自分史」を書くことになった。
利尻・礼文島の旅から始まったご縁である。有難い日々を送っている。

 

参考写真


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