私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

親を送ったように

大抵は
人は親を送ったように子どもから送られる。 

必ずではありませんが… 

因果応報
世代間連鎖…

子どもたちは見ています。
親をどう送ったかを…。

私には、母の思うようには送ってあげられなかったという悔いがあります。
しかも、しばらくは、そのことをずっと誰かのせいにしてきました。

でも
自分が送られる側に立っていることを実感した時
誰も悪くしたくない。
そう思うのです。

子どもたちの行く手を阻むことはしたくない。
そのためには
どうしておくことができるのだろうか…。

考えながら、17年前の日記を読み返しています。

長くなります。

 2003年9月19日(金) 映画「折り梅」を観て

市の文化協会主催の映画鑑賞会に、
定時で仕事を切り上げていってきました。

 第14回東京国際女性映画祭で上映された松井久子監督
「折り梅」

老人介護を扱った映画で
同居を始めた夫の母親の認知症
徐々に進んでいくことから起る
嫁と姑、夫婦間、子供たちとの
さまざまな葛藤が描かれています。

今まさに自分がぶつかっているテーマを扱っているということで
以前から必ず観ようと思っていました。

娘も一緒でした。
娘は「そんな映画を観て、余計に落ち込んだりせんときや」
と言いますが…

「こういう映画には、きっと救いが用意されているはず、参考になることがきっとあるはず」と…。

娘は
プロローグの二人が歩いている姿を見ているだけで
涙をこぼしていました。
映画が始まって10分ぐらいから終るまで涙が止まりません。
途中嗚咽を漏らしそうになるほどでした。

夫に早くに死に別れ
4人の男の子を女手ひとつで育てた気丈な母(吉行和子)。
その母の痴呆を認めたくない息子は
介護に疲れ果て施設に入れたいと願う妻(原田美枝子)に
相談を持ちかけられても
「君がいいと思うなら・・・」と
肝心なところで逃げてばかりいる
そんな気弱な身勝手な夫(トミーズ雅

本当に我が家と同じで男はこういうとき頼りにならない!

施設へ送って行く道すがら
実の息子さえも知らない姑の過去
幼い日の生母との別れや若い時の苦労話を淡々と語るのを聞いて
同じ女として、母として、また子どもの立場として
姑を愛しく思い
もう一度がんばってみようと決心する嫁。

姑と参加したある集会で
「今までお姑さんを何回褒めてあげましたか」
と問われて
咎めたり、怒ってばかりいたことに気がつく場面があります。

帰り道、娘は
「あの画面、一番応えたなぁー」
「おばあちゃんにあかんことばっかり言ってたと心が痛んだわ!」
「何も褒めてあげていない!」
と・・・

「お母さんは、帯の縫い方習うことで、おばあちゃんのことちゃんと認めてあげてた」
「正解やな!」

いいえ、あなたの方がずっと巧まずにおばあちゃんを看ていたと思う。
私の方がずっと理で言い聞かせたり、難しいことを要求していたと思う。

映画はそれに気付かせてくれました。

誰でも褒められると嬉しい。
子育てと一緒。
年を取ることは子供に還ること。
できる範囲のことで、あるいは得意な分野で認めてあげなくては。

あと、子供に還るということに、過剰反応してあげないこと。
上手に合わせてあげることがいいのですね。
昔の話の中で自分が行ったこともない所でも、想像を膨らませているうちに行ったように思うらしい。

これはかなり早く始まっていたのを
今まではいちいち違うでしょと訂正していたけれど
害のない話なら否定せずに
「それで誰と行ったの?」
と話を続けてあげたらいいのですね。
やさしい表情で聞いてあげたらいいのですね。

原田美枝子さんの優しい表情のように穏やかに。
この人はほんとうに綺麗に歳をとられた女優さんですね。

呆けは神様の贈り物という。
老人が生きる智恵かも知れない。

わが母はリュウマチの苦痛や
家族と暮らせない寂しさから
呆けることで逃避しているのかも知れない。

なら、付き合ってあげよう。
その方が楽ならね。
 
「折り梅」とは
梅は折れて老木となっても
枝からつぼみが生まれて美しい花を咲かせること。

浅き春に先駆けて凛と咲く古木の梅、素敵ですね。

温かい視点で老人介護を描いている「折り梅」という映画を
同じ介護に苦しむ人たちに観ていただきたいです。

 

この映画を思い出させてくださったことに感謝いたします。

そして
松井久子監督が昨日のお誕生日を機に
noteでマガジンをスタートされたそうです。

是非、読もうと思います。

http://松井久子のNoteマガジン「鏡のなかの言葉」

 

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