私と家族の物語

自分史活用アドバイザーが描く家族史プロジェクト

自分史を書く・・・映画「風とともに去りぬ」マイラブストリー

幸せを次世代に送る 

自分史活用アドバイザーの藤原優子です。

 

 

{4A4F3B57-4235-4D38-8DA3-2B0B5B603200}

 

 

すさまじいばかりの光を放って

凍てついた月があたりを睥睨しています。

 

この頃が一番寒さも厳しさを増す

暦の矛盾を最も感じる時季ですね。

 

私のシューカツ(集大成活動)の一つは
セカンドライフの生き方を考える活動です。

 

昨年末に自分史活用アドバイザーを取って

そのための引き出しを増やしました。

 

まだまだ学ぶことはたくさんあります。

実践もこれから・・・

 

まずは

ありきたりの自分史のマイラブストーリーですが・・・

書いてみました。


&&&&&&&&&&&&&&&


書店では、「20世紀のシネマ館」という雑誌のデモンストレーションで

CDの音楽がBGMとして流されていました。


風と共に去りぬ」のタラのテーマが

立ち読みタイムに流れてきます。

「タラララララララララララララ~♪」

高校時代に先輩から誘われて出かけた思い出の映画が蘇ります。
 
美術部の文化祭での出し物の似顔絵コーナーで

自信たっぷりでちょっと軟派な男子学生を相手に

似顔絵を描きました。

 

普通は描くほうが被写体を見詰めるものだけど

まるで反対で、描いている間中

あんまりじーっと見詰められるものですから

すっかりのぼせあがってしまい

元々苦手な人物画がますます似ていない。

焦って描けば余計似ていない!

恥ずかしくて逃げ出してしまったことがありました。
 

今思えば純情可憐な高校生だったこと・・・。
 
その後も、出逢う度に

「あの似顔絵は似てへんなー!」とからかってきます。

 

聞けば、1年先輩のラグビー部のキャプテン

女子人気抜群とかで・・・。


いつも自信たっぷりに

親しげに話し掛けられ

正面からじっと見詰めてきます。

あんまりドキドキするので

姿を見ると逃げ出すようになってしまいました。


 
それでも、そのうちに

市立の図書館に出かけ

一緒に勉強するようになっていました。

 

相変わらずじーっと見詰められて

タジタジするばっかりの私でした。
先輩は明らかにそれを面白がっていました。
 
君がスケッチをしている横で

僕は昼寝をするんだ 

それが僕の夢

という詩の手紙。(何故か覚えている!)


今度の日曜に奈良に行こうと誘われたとき

親に話したら

「男と二人っきりで出かけるなんてのは不良娘だ」

と言われて

「親がうるさいので行けません」と

行きたいと思いながらも断わってしまった。

 

何故話したのでしょうね?

箱入り娘だったのです。(笑)
 
きっと嫌われたと思ったことでしょう。

その後は誘われなくなりました。

 

そのうち、先輩は受験の真只中に・・・。


逢えないか、逢えないかと思うほど

同じ学校の中でも逢えないものです。


ある日のばったり出会ったときの

まっすぐに届けられた眼差しを

時が経っても鮮やかに覚えているものです。


忘れていたその眼差しが

ある映画を観たことで

突然蘇ってきたというのが正確です。

で、「風と共に去りぬ」がどうしてん?ですが

 

そんな日々にあって

映画に行こうと誘われました。

そりゃ嬉しかったです。

もう、親には言いません。

逢って、すぐに映画に行きました。

相変わらず、話もできず、目も合わせず、

想いが募った分だけ余計ドキドキしていました。


風と共に去りぬ」は大作中の大作でした。

あの頃の高校生ですから

二人ともその内容にすっかり圧倒されてしまって

終ったあとも互いに感動しすぎて無言でした。


そしてなんと

そのまま「さよなら」って

分かれて帰ってきてしまったのです。

今ならその内容をいつまでも語り合ったでしょう・・・

その後は、先輩は受験勉強。

邪魔してはいけないと連絡することはありませんでした。

映画「ラブストリー」が初恋の純粋な感情を思い起こさせたのです。

お恥ずかしい!

最期まで書くしかないのですが・・・。

実はさほど何もなくって・・・。

その後、先輩は受験に失敗。

浪人生活に突入します。

ますます、勉強の邪魔になるからと思うし

結構身辺も慌しいこともあって

こちらからは連絡することはありませんでした。
 
時々架かってくる電話で

お互い受験生同士の会話をするだけでした。

「いつも僕からばかりだね、

だけど、どれだけ励みになっているかしれない。」

といった直球が飛んでくると

いつもかわしてしまう私でした。

電話の架かってくることもなくなった頃

私学の合格発表が大阪新聞紙上に掲載されました。

 

忘れもしません。

そこには、先輩の名前があり

その下に私の名前がありました。

並んで載っていたのです。

 

二人のために世界はあると確信しました。
 
初めて、勇気を振り絞って先輩に電話を架けました。

「見たよ!おめでとう!

初めて電話をくれたね、ありがとう!」


先輩の本命はこれからの国立二期校だということでした。

がんばって欲しい

けれど落ちたら

また一緒に学生生活ができると思うと複雑でした。

先輩は四国の国立大学に合格し

二人の文通が始まりました。

 

映画の二人のように

ラブレターが瀬戸内海を何通も渡りました。

たくさんの詩をもらいました。

みかん箱に一杯もありました。

 

桂浜でほほ笑む写真が同封されていて

いつ高知に遊びに来るのかという手紙・・・

お互いに大学生になった私たちは

それぞれに違った空間を生き出していました。

 

少しづつ手紙が疎遠になり

二回生の夏

帰省している先輩に

お互いの友人と歩いているところをばったりと会いました。

「あれ、こんにちは!帰っていたのですね」

「うん」

それが最後になりました。

 

私の身辺はその頃も相変わらず慌しく賑やかだったので

余り気にはならなりませんでした。

お別れが決定したのは初冬でした。

美術部のOBの集まりがあり

後輩からいきなり謝られました。

先輩と付き合っていると・・・。

 

彼女は、すでに社会人で

毎月四国に通っているんだと・・・。

それで手紙が来なくなったんだと・・・。

先輩の中では終っていたのですね。

 

桂浜での写真は笑っているけど

遠い人になっていたんだと・・・。

朝まで泣いて泣いて・・。

 

私の中ではなかなか終らなかった。

失恋した時にはじめて

本当の恋愛が始まるものだと知りました。

その喪失感に翻弄される日々でした。

もう、心から笑える日は来ないとさえ思いました。

あんなに切ない想いが怖くて

二度目の恋はなかなかできませんでした。

何度目かの恋は、今から思えば不純でした。

この人なら気を使わないで気楽に暮らせるだろう。

絶対に裏切らないだろう。

打算がありました。

その仕返しは充分に食らっているようです。

そんなに人生は思い通りには行かないものです。

真実の愛は、人生においてたった一度だけ。

運命の人は一人だけ。

映画「ラブストリー」は語ります。


私は、真実の愛に、運命の人に逢えたのでしょうか。

まだ、逢っていないのでしょうか?
何を馬鹿なことを・・・。

後日談ですが

弟が、奇しくも

母校の教師となった先輩の教え子になっていることが発覚。

 

弟が告知すると、驚いたことでしょうね。

 

「可愛い人だった!僕は夢中だったけど、

彼女はそれほどには思っていなかった」とのこと

 

あーあ、つくづく世の中は思うようにはならない・・・。