今、書かねばと強く思います。
昨年の12月
悲しい訪問でした。
2月の福井の豪雪で88歳の叔母が命を落としました。
生者必滅、会者定離
この世に生を受けたものは必ず死に、
出会ったものには必ず別れがくる。
去って行った人の心を引き継ぎ
次代に引き継いでいくことが大事。
雪が着く前に
3ヶ月も早くに一周忌の法事が営なまわれました。
商売人の繁忙の家に育ちました。
あの頃はみんながそんなものでした。
夏休みになると
福井の母の実家に私たち三人は預けられました。
長女の私は子どもながらにも気を使うことが多くて
本当は家にいたいと思っても
それは言えませんでした。
叔父も叔母も優しい人たちだったことが救いでした。
おばちゃんは二人目の優しい母のような存在で
おばちゃんにとっても私は「うちの娘なんにゃ〜」と・・・
そして、ファミリーヒストリーを語る
最後の証人だったのです。
間に合いませんでした…。
ファミリーヒストリーは書けなくなりました。
ファミリーストーリー(お話し)しか書けません。
それでよしとするしかありません。
誰かが聞いていたことを書き綴っておこう。
それが事実かどうかは分からなくても・・・
それでも
記憶だけではなく
現場に立って、本人の感情に浸ってみるのは
書くモチベーションになります。
その意味では
今回は大切なチャンスでした。
自身のルーツ
一族からの言い伝えや
親たちから聞いていた祖先の話
そして戸籍謄本が教えてくれる大切なこと・・・。
今、たどらないとどんどんリセットされてしまう。
何も、次世代には伝わらない・・・。
それでいいのだろうか・・・と深く考えました。
父が戦争で悲惨な状況から生還してくれたからこそ
私がこうして生まれ
娘が生まれて
孫っ子は小学一年生
孫っ子に
大切な人たちを自らの死をもって守ろうとした人がいたから
そして、生き残ってくれた人がいたから
あなたは生まれることができた・・・
そのことを伝えないと・・・。
ファミリーストーリー
伝えることができる人が伝えなければ・・・。
だから、父の生家があるうちに
行ってこなければと思っていました。
そうして
目にしたものは・・・
行き過ぎても分からないはずでした。
ユンボがまだそこにはありました。
ユンボの爪痕はまだ真新しい。
なんてことでしょう。
わずかに遅かったのです・・・
また、間に合いませんでした。
そこにはぽつんとお墓が遺されていました。
涙が溢れました。
誰かが私に乗り移って泣いている。
そんな感覚がありました。
枯れる前の花が供えられていました。
遅かったけれど
それでも、あの場に行けてよかった。
懐かしい人たちの面影を見ることができました。
これはおばちゃんがくれたんやね・・・。
おばちゃんのおかげです。
ありがとうね。おばちゃん。
いつも働いてばかりだったけれど
もう、ゆっくりしていますよね。
過疎の郷・・・
逝きし世の面影
日本のいたるところで起きている風景です。
間に合わなかったことばかり・・・
だから
今、書かねばと強く思います。
書いて、そこに置いておく。
必要なときに
必要な人が受け取ってもらえるように。